まだ原稿があがらない。
あがらないのに、出かけた。
先に強く言い訳をしておくけれど、これは遊びではない。
学生時代に非常にお世話になった、Iさんが母校の教授になられた、その内輪でのお祝いの会が開かれたので出席させていただいたのである。
以前にこのHPの『50万ヒット記念企画』で寄せられた、
「どうして空手部に入ったのですか?」
という質問に対して、
「入学式の当日に空手部の先輩たちに誘われて飲みに行き、そのまま終電がなくなって泊めてもらうことになりました。
当時ぼくは実家に両親と一緒に住んでいたので、一応家に電話を入れることになり、その時に先輩が、
『俺からも断ってあげるから』
と言って電話を代わり、ぼくの両親にその日の経緯を説明した後、
『あ、それから高田くんは、空手部入部が決まりましたのでよろしくお願いします』
と勝手に話をつけてしまったからです」
という回答をした。
その「先輩」こそが、今回めでたく教授になられたIさんなのである。
ちなみにIさんの業績は素晴らしく、また人望も非常に篤いし、学生からの信頼も絶大で空手部長も務められている。
なので、果たしてこんなことをこの場に書いてしまって良いものかどうかぼくには分からないけれど、真実である。
だが、数日後にこのEssayは削除されている可能性があることも否定できない。
もしも削除されていたら、歴史の真実はこうやって埋もれていくのだということを知って欲しい(見ていない人は、どうやって知るのか。それもまた歴史だ(?))
ということで、仕事します。
写真左は、Iさんへのお祝いの気持ち。
そして右は、原稿がどうにもこうにもこんがらがって大変だ、ということで二重螺旋(らせん)構造の「会津・栄螺堂(さざえどう)」