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ご無沙汰しています

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「Essay」の更新が滞っておりますが、色々と対策検討中なので少々お待ち下さい。

 先日、某方面で用事を済ませた後、久しぶりに新小岩の「バー潤」へ行った。
 2年ぶりくらいだったが、何となくすぐになじんでしまうところが素晴らしい。
 写真は潤で飲んだ、伝説の「Don Julio(ドン・フリオ)」。竜舌蘭の苗を植える土から厳選しているというこだわりのテキーラ。一口飲むと、テキーラのイメージが変わる。

 さてさて今月も、あっという間に残りが少なくなってしまった。
 その中を、I川《鬼平》さんとお会いして初校ゲラを渡し、打ち合わせ。喫茶店で素敵なローズ・ガーデンを眺めながら、色々なお話をした。ええと……頑張ります。

 さて話は変わって──。
 手帳を開いて見れば、記念日が盛りだくさん。
 まず22日(昨日)は、言わずと知れたコナン・ドイルの誕生日だった。
 そして24日は、最も尊敬する薬剤師、横溝正史の誕生日。

注】おそらく公には初めての告白だと思うけれど、「高田崇史」の「史」は、横溝正史さんからこっそりといただいている。なのでぼくの名前(たかふみ)を、「たかし」と呼ばれても全く気にしていない。実際に故・宇山さんなどは「たかしの方が良いんじゃない」なんておっしゃっていたし。

 そして25日は楠木正成の命日。28日は在原業平、30日は沖田総司の命日と続く。その上来月は「池田屋事件」と「乙巳の変」が待っている。
 ああ、忙しい(何が?)。

神田明神薪能

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 まだ今一つパソコン接続の調子が良くないので、Essayは更新できる時にしておきます。

 というわけで(?)神田明神に薪能を観に行った。
 演目は、世阿弥作の『清経(きよつね)』。
 清経は、平清盛の長男・重盛の三男。平家の都落ちに伴って、行く末をはかなみ21歳という若さで入水してしまう。
 物語としては、妻の元に現れた清経の亡霊に対して彼女が恨み言を述べ、清経がその経緯や最期の場面を語り聞かせ、成仏していることを告げるというもの。
 しかし現実的には、この後から平家一門の存亡をかけた壇ノ浦や一ノ谷の合戦に突入していくわけで、敵と戦い敗れたのならばまだ納得できるが、この時点での清経の自殺に対して妻が恨み言を述べる気持ちは分かる。しかも後の世に、建礼門院から「心憂きことのはじめ」──平家滅亡への始まりとまで言われてしまったというから、ちょっとばかり悲惨だ。
 つまりこれも、一種の鎮魂の芸能。

 そして、薪能が怨霊慰撫・鎮魂の芸能であるならば、神田明神はその演場として二重の意味でうってつけだろうと思う。
 亡くなった将門公を供養すると同時に、怨霊ではないはずなのに怨霊にされてしまった将門公の霊を慰めるという意味で(と勝手に思った)。

 取り敢えず、初校ゲラ終了。
 あとは無事帰国されるであろう、I川《鬼平》さんの手に届けるだけである。そこできっと『QED 出雲』の話もしなくてはならないと思うので、早くも準備にかかっているが、すでに崇の科白だけで原稿用紙20枚を越えた。
 これから一体どうなることだろう……(先行き不安)。

久々の夜の街

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 久しぶりに銀座に出た。
 もちろん、ゲラを片手に電車の中で仕事をしながらである。
 こういう時は、いつでもどこでも仕事ができるという特典が有効に作用する(しかしそれが同時に、ある時は我が身に不利に働く。両刃の剣である)

 ということで、左の写真はタリスカー。マルティニのカンパリを使って作っていただいたネグローニ。とても柔らかい。
 右は、その後に行ったアルカンにあったオモチャ。人類の進化の歴史だそうである。ちなみに一番左が、ダーウィンというオチ。
 アルカンでは「魔王の梅酒」を飲みながら、忌野清志郎とCharとチャボの映像を堪能した。なかなか珍しい体験の夜であった。

なんとなく

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 我が家にもずっと架けておきたい、羅須地人協会の宮沢賢治の伝言板。
 ちなみに、写真に写り込んでいるのは霊ではなく、ぼくと、そして懐かしきA藤《修羅編》さんである。
 一切修正していないのに、拡大しても顔が判明しないこのアングルは絶妙といえるだろう(?)

久しぶりの四季

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 どうにかこうにか『カンナ 奥州の覇者』入稿。
 あとはゲラ待ち。
 しかし、すぐに『QED 出雲』に突入しなくてはならないという、厳しい現実が待っている。

 そのわずかな隙間を縫って出かけた、劇団四季『春の目ざめ』。
 これは四季にしては、画期的(冒険的)な作品なのではないか。きっと意見が分かれるだろうけれど、ぼくは好きだ。
 バー・ラジオの尾崎さんの言葉ではないけれど、常に新しいものへと変化し続けてこその「スタンダード」だと思うので。

追悼

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RCサクセションのLP、2枚。
思い出は色々とありますが、それはまた改めて。

ゴールデンウィーク

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 ゴールデンウィークでI川《鬼平》さんも海外に出かけてしまい、とても穏やかな日々を送っている。
 とはいえ、まだ原稿が少々残っている。
「帰ってきた時には、もうすでに必ず絶対入稿しているように!」
 などという厳しい置きみやげをいただいているので、のんびりしてはいられない。
 というよりも、このゴールデンウィークがなければ(色々な会社が休みにならなければ)〆切が1週間ほど先になっていたはずなので、年間通して休日のない身からすると、どこがゴールデンなのか全く理解できない。

 新型インフルエンザがパンデミックの様相を呈してきている。しかし、普段から「手洗い&喉うがい&鼻うがい」を励行している我が家では、余り生活に変化はない。
 それよりも「豚インフルエンザ」という名称が、たった一夜にして「新型インフルエンザ」に統一されたことに驚いた。良くも悪くも、これは凄いことなのではないか。

 などと驚きつつ、今月も予定が一杯だ。
 さあ頑張ろう、と思いながらも殆ど死んでいますということで、写真は「西村京太郎記念館」より。

お祝い

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 まだ原稿があがらない。
 あがらないのに、出かけた。
 先に強く言い訳をしておくけれど、これは遊びではない。
 学生時代に非常にお世話になった、Iさんが母校の教授になられた、その内輪でのお祝いの会が開かれたので出席させていただいたのである。

 以前にこのHPの『50万ヒット記念企画』で寄せられた、
「どうして空手部に入ったのですか?」
 という質問に対して、
「入学式の当日に空手部の先輩たちに誘われて飲みに行き、そのまま終電がなくなって泊めてもらうことになりました。
 当時ぼくは実家に両親と一緒に住んでいたので、一応家に電話を入れることになり、その時に先輩が、
『俺からも断ってあげるから』
 と言って電話を代わり、ぼくの両親にその日の経緯を説明した後、
『あ、それから高田くんは、空手部入部が決まりましたのでよろしくお願いします』
 と勝手に話をつけてしまったからです」

 という回答をした。
 その「先輩」こそが、今回めでたく教授になられたIさんなのである。
 ちなみにIさんの業績は素晴らしく、また人望も非常に篤いし、学生からの信頼も絶大で空手部長も務められている。
 なので、果たしてこんなことをこの場に書いてしまって良いものかどうかぼくには分からないけれど、真実である。
 だが、数日後にこのEssayは削除されている可能性があることも否定できない。
 もしも削除されていたら、歴史の真実はこうやって埋もれていくのだということを知って欲しい(見ていない人は、どうやって知るのか。それもまた歴史だ(?))

 ということで、仕事します。
 写真左は、Iさんへのお祝いの気持ち。
 そして右は、原稿がどうにもこうにもこんがらがって大変だ、ということで二重螺旋(らせん)構造の「会津・栄螺堂(さざえどう)」

不思議なこともあるものだ

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 パソコンの調子がどうしようもなくなって、貴子さんにわが家まで様子を見に来てもらった。
 そして「こんな調子なんだよ」と開いて見せようとしたのだけれど、その瞬間からすっかり問題なく動き、どこがどう調子悪かったのかの説明もできなくなってしまった。
 しかも貴子さんが帰った後、再び接続が悪くなってしまうという厳然たる事実──(このEssayも、10回ほどチャレンジして、ようやく書き込めた)。
 不思議だ。彼女は何か特殊なオーラでも発しているのだろうか。

 オーラといえば、この間の伏見稲荷の画像で、実は同じような写真がもう一枚あり、そこに何やら怪しげなモノが写り込んで見えた。
 そこで、心霊写真専門家(?)のマイ・シスター・ミチルンに送付したところ、大笑いされて、それは単なるゴミか水滴だと言われてしまった。
 しかし追伸で一言。
「それよりも、違う場所に何かがたくさん見えているんですけれど……」
 そんな異界のモノなど見えないぼくは、アルカンさんにも尋ねた。するとアルカンさんも、何やら写り込んでいるモノ(オーブ)が見えるという。
 本当なのか……?

 その写真を載せようかとも思ったけれど、さすがにそれは止めて、早くこんな気分になりたい……ということで、宮沢賢治の故郷・花巻の「イギリス海岸」。

停滞中

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 パソコンのインターネット接続が今ひとつなので、Essayなどの更新が滞っています。
 しかしどちらにしても、殆ど余裕がない生活を送っているので大差ないが、きっとそのうちmegurigamiくんが何とかしてくれるでしょう。
 などと他力本願に思いつつ、写真は「まだまだ続く長い『上り坂』のトンネル」ということで、奈良・長谷寺。

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