一昨日は、神楽坂の「矢来能楽堂」で「のうのう能」という舞台(勉強会?)が開かれたので出かけた。
これは以前「鎌倉宮 薪能」のチケットを取っていただいた方の伝手である。実に有り難いご縁だ。素直に感謝。
この「のうのう能」というのは、全くの初心者や実際に稽古をされている人たち、一般の我々が、舞台で演じられる「能」についての解説を受けたり、また実際に発声したり、シテの装束着付けの実演を見たりできる、という至れり尽くせりの会である。
しかも当日の演目は『紅葉狩』。
戸隠山の奥に棲む鬼女・紅葉(もみじ)を始めとする鬼たちを、平維茂(たいらのこれもち)等が討ち果たすというストーリーである。
実はこれに関してもいずれ「日本全国鎮魂の旅ノベルス(?)『カンナ』」で触れたいと思っていたので、何があってもと思い参加した。
私は昔から「紅葉狩り」という言葉に、何となく違和感を覚えていた。
というのも「狩り」というのは素直に考えて、動物や植物を「捕獲する」「採る」ことである。「狐狩り」「ぶどう狩り」そして薬草を採る「薬猟(くすりがり)」など。
ではそれがどうして、鑑賞するだけのはずなのに「紅葉」にも使われるようになったのか。調べてみても、正確な理由は謎だという(もちろん色々な説(理由)はある)。
しかしそれはきっと、この鬼女「紅葉」を「狩」ったということに深く関与しているのではないか。「紅葉」の戸隠山で、鬼女「紅葉」を「狩る」という二重の意味を持って使われた言葉が、やがていつしか定着していったのでは──。
そして例によって、紅葉は間違いなく冤罪だ。だからこそ「怨霊慰撫」である「能」の演目に入り、600年もの長い間演じられ続けているのだろう。
そしてこの『紅葉狩』に関しては、もう少し思うところがあるのだけれど、それはまた改めて──。
時節柄、そんなことを思いながら、またしても濃い夜を過ごしたのであった。