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続日々是決戦

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 いつの間にか引っ越しも終わり、少し落ち着いた。
 ところがそれに伴ってパソコン(ネット接続)の調子が少々おかしくなり、それも今のところ何とか復活している。どうやら人間よりも、遙かにデリケートにできているらしい。

 文庫『QED 神器封殺』の初校ゲラをN川さんに送付。
 かなり悩んだのだが、結局文庫も袋とじで決定した。そのために、またしてもページ調整が必要になり、必死でゲラを直すハメに。自ら首を絞めてしまった。

 それと並行して、I川《鬼平》さんと『カンナ 奥州の覇者』の打ち合わせ。プロットに関してGOサインが出たので、あとはただひたすら書くだけである。
 今回はいつもと少し違うテイストで、今までの細かい伏線の回収と、「カンナ」の意味(の一部)なども少し書く予定。

 というわけで、相変わらずあわただしい日々を送っている。
 その上明日は(以下自粛)

 ちなみに写真は「まだまだ続く長いトンネル」ということで、京都・伏見稲荷。

この世は楽しい闇じゃ

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 1週間経ってもまだ消えない「DID(ダイアローグ・イン・ザ・ダーク)」の影響(印象)に驚きつつ、日々を送っている。
 今開期中にもう1度行こうと画策しているのだが、あの体験は一体何だったのかと改めて考えている。というより、前回の「Essay」にも書いたように、あれは「脳幹」の問題であって、いくら「大脳皮質」で分析してもムダだろうし、殆ど意味をなさないと分かっている。しかし、暗闇を忘れてしまおうとする「大脳皮質」は考えるのである(多分)。
 1つ言えるのは、暗闇の中で(殆ど無意識に)目を必死に見開いていた時は、闇に対して怯えていたが、仕方なくそれを諦めた時から闇がものすごく暖かく感じられ、逆に楽しくなってしまったという事実(体験)だ。
「目を閉じよ、そうすればお前は見えるだろう」
 というのは、サミュエル・バトラーの言葉だったと思うけれど、
(注:間違っていたらご一報を。何しろ40年近く前に読んだきりなので……)
 この言葉は、まさに正鵠を射ていたのではないか、などと思ってしまった。

 日々相変わらず「禁足」生活を送っているが、こっそりと能などを観に行こうとすると、どうしてI川《鬼平》さんから連絡が入るのか、こちらの謎もまた深い闇の中である。

 写真は、我が国の全ての闇を内包していそうな、石見(いわみ)国一の宮「物部神社」。

暗くなるまで待って

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 本気で余裕がない。
「忙しいと口に出すことは格好悪い」と言い聞かされて育った江戸っ子なので、およそ現実の6割減くらいでEssayに書いているのだが、そろそろ本当にマズい。
 しかもそんな中を、またしてもマイ・シスター・椹野道流んと出かけてしまった(おい!)。
 某女史は怒り、某女史は呆れ、某男性編集者(ミチルン担当)は「一体何が起こっているのか理解できない」という中を、2人で青山へ。

「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」(DID)に参加してきたのである。
 ご存じの方も多いと思うけれど、これは全く光のない中を、白杖(はくじょう)を手にして歩いてみましょうという催しである。具体的な詳しいことは調べていただくとして、つまり清水寺や善光寺の「胎内巡り」のスケールが大きい版、と思っていただければ間違いない。
 始まる前にスタッフから「何かご質問は?」と訊かれて、
「目は開けていた方が良いですか? それとも閉じていた方が良い?」
 と尋ねた参加者への答えが、
「どちらでも同じですよ」
 という答えの通りの空間であった。
 そしてその暗闇の中で何を体験したかということに関しては(恐怖話や笑い話など)楽に10000文字くらい書き記せるような気がする。けれども、これから体験される方のために自粛するが、すでにオープンになっている話などを書けば、その見えない空間には水が流れ、竹藪があり、橋を渡り……等、さまざまな体験をするのである。
 その空間に足を踏み入れた瞬間、人は暗闇から生まれて暗闇へと帰るのに、どうしてこんなに暗闇が怖いのだろうと思ってしまった。脳幹が、ぎりぎりと鍛えられていく感触──。
 ところが最後は、暗闇がとても暖かく感じられてきて、隣の人の気配もしっかり分かるようになった。不思議なものだ。 
 本気で怯え、そしてまた本気で笑えた、実に素敵な体験でした。ありがとうございました。

 その後は、なぜかもう1人の偽妹も参加して銀座で食事。そしてそのままアルカンに流れたら、全く偶然にも、はたまみさん夫妻が登場。一気に濃い夜になってしまった。
 ということで右側の写真は、アルカンで鑑賞した「ルパン三世」。

明日から4月?

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 膨大な私用と、身内の突然のハプニングと、某団体からの招集と(これは楽しかったです)、鬼のI川《鬼平》チェックと──数々の試練と戦い中。
 あ、文庫ゲラもあった……(未だ手つかず)。
 昼も夜も分からない日々を送っている。
 おかげで先日、母親の認知症検査で当日の日付を訊かれたのだが、母親は正確に答え、付き添いで行ったぼくが間違ってしまうという笑えない事態に陥ってしまった。酷すぎる。

 写真は劇団四季で、単なる現実逃避……。

神忌祭

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 お寿司屋さんで思いついた、ぴいくんクイズ。

問:お寿司を食べた外国人が、店の人にある質問をしました。するとそれを聞いていた2人の客が同時に、
「違うよ」
「そうだよ」
 と答えました。2人の答えが決して間違ではないとすると、その外国人は何と尋ねたのでしょう?

答:「ハマチは、イクラですか?」
(「How much」は「いくら?」ですか?)

 酔っ払って口に出した時には非常に鋭角的なパズルだと思ったけれど、こうして素面で文章にしてみると、どうしようもないという一例。お酒の席で、十分に酔っ払ってから使って下さい(誰が誰に?)

 写真は亀戸天神。
 実は先日、旧暦の菅原道真公の命日に「神忌祭(しんきさい)」というお祭りが行われ、氏子のH野に誘われていたのだが、諸事情で残念ながら不参加。
 名称からして実に怪しげなので、来月、藤でも見物がてら色々取材したいと思っている。

蝸牛の如く

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 先日の話に出てきたので「貴船神社」の本殿古材で作られた御神符。
 書かれている文字は「龗(おかみ)」。祭神の「闇龗神(くらおかみのかみ)」からの一文字だろう。ちなみにこの「龗」は、古語で「龍」という意味。

 文献読み中。
 しかし、以前にも書いたけれど、何故こういった文献はこんなに読みづらいのだろうか。その中でも、権威ある大学教授の書かれた本になればなるほど読みづらい。むしろ理系の「物理化学」や「薬理学」や、ラテン語だらけの「生薬学」の教科書の方が読みやすいではないか(少なくとも視点がブレていない)。
 これらを手元に置いて講義を受けなくてはならない文系の学生たちは大変だなあ……と本心から思ってしまった。
 某知り合いの文学部史学科の学生が教授から、
「巷で売られているような歴史の本などは、決して買わないように」
(注:これはもちろんぼくのようなエンタメ・フィクションではなく、もっと真面目な本のこと)
 と言われたらしいが、でもこれではついつい一般書に手が出てしまいますよ先生(誰?)。

 しかし、これらも一通り読まなくては先に進めないので、頑張って格闘します。

物理トリック

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 写真は、今はなき「セカンド・ラジオ」の花とドライマティーニ。

 先日カクテルを飲みながら、辻村深月さんと密室について話していた時に、ここ何年かは「物理トリック以外」が主流になっているという話題が出た。確かに現状はその通りだと思う。
 しかし──その動機はともかくとして──今すぐ本気で密室を作ろうと思ったら「針と糸」が非常に簡単かつ現実的だろうという話もした(その時だったら「カクテル・ピンとセーターの糸」などを使用して)。
 また実際にぼくは、中学の頃からパズル感覚で(「千波くん」にもチラリと書いたように)色々な「針と糸の密室」パターンを考えて1人で遊んでいた。

 そして、その場では言い忘れてしまったのだけれど──これは決して恣意的にではなく、単に飲み過ぎていたのだが──実を言うとぼくはアナクロにも、「針と糸」の密室を1つ考えているのだ。もちろん、今のところまだ誰も使っていない(はず)。
 ところがこれが本当に何一つ痕跡を残さないと思えるので、小説の中では、かえって使えない。捜査しようにも、おそらく証拠が全くなくなってしまっているだろうし、部屋の中で余程のことが起こっていない限り、その事件性すら疑われないだろうと思われる。かといって、余りに単純なトリックなので、ミスをするとバカみたいだ。

 ということで、いつか何かの形にメタモルフォーゼさせて、遠い将来に(みなさんが今回の「Essay」の内容を忘れた頃に)どこかで使ってみたいと考えている。

青山学院吹奏楽部定期演奏会

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 昨日は、なぜか亀戸天神の氏子になっている悪友のH野と共に青山学院へ。
 彼の娘さんが吹奏楽部に所属しており、定期演奏会が開かれるということで聴きに行ったのである。
 会場では、ホルストから、葉加瀬太郎から、ディズニーから、ビートルズまで多彩な曲に耳を傾けた。
 すると場内で、何となく見たような顔の男性に出会った。必死に記憶をたどり、頭の中で修正(?)すると、間違いなく小・中学の同級生のY田くんであった。思いもかけず、35年ぶりの再会となった。聞けば、彼の娘さんも青学の吹奏楽部だという。その邂逅に驚いてしまう。
 ちなみにこの彼こそ、麹町中学時代に、ぼくにミステリを勧めてくれた張本人(?)だったのである。
 彼は当時毎日のように、
「フィルポッツが面白いから読め」「ルルーのこれは傑作だ」「フレドリック・ブラウンは『真っ白な嘘』もいいけれど、『復讐の女神』もいい」
 などといって、次から次へとミステリを持ってきた。そしてほぼ毎日、クイーンだ、ポワロだ、ファイロ・ヴァンスだ、H・M卿だ、思考機械だ、アイリッシュだ、殺人者はへまをするんだ、というような話を交わしていた。
 そんな彼からの影響もあって、当時はミステリだけで年間に100冊は読んでいただろう。そしてもちろん(多感な年頃だったので)それ以外にも、色々な小説を読んだ。

 演奏会が終わって、青山通りを歩きながら話していると、Y田くんは長沼弘毅さんの件(ぼくが手紙を書き、長沼さんから返事をもらった件)も覚えていて、驚いて一緒に読んだねえ、などと言う。
 しかしその返事の手紙は、もう無くしてしまったということを言ったら、やはり田中喜芳さん同様、非常に残念がられてしまった。

 その後は、青山でお茶(もちろんぼくとH野は、生ビール)をしながら、よもやま話など。Y田くんとは、また再会を約束して別れ、我々は青山の夜に突入したのであった(結局それか)。

安井金比羅宮

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 先日の「Essay」での「安井金比羅宮」に関して、
「何となく恐ろしそうな気がするけれど、どこがどう恐ろしいのか?」
という疑問・質問にお答えして──。

 御祭神は、崇徳天皇・大物主神・源頼政。
 なぜ、このような取り合わせなのかということに関しては、今は割愛させていただいて、写真の「縁切り縁結び碑(いし)」。
 これは高さ1.5メートル、幅3メートルの巨石だそうで、そこにお参りされた方が「縁切り」「縁結び」のお願い事を書いた形代を貼り付け、石の穴をくぐるというものらしい。
 だが「縁結び祈願」は良いとしても、「縁切り祈願」は自分の心の「闇」の部分だろう。それが、こうして堂々と人目にさらされているという事実が恐い。
 もしかしたらこの宮も、もともとは鎌倉の東慶寺のように「縁切り寺」「駆け込み寺」的な部分を持っていたのかも知れないが、でも恐い。
 誰しも心に「闇」を持っている(これに関しては、劇団四季「オペラ座の怪人」プログラムにも書かせていただいたが)、しかしそれはおそらく、殆どがネガティヴなもののはずだ。それをこうして「○○さんとの縁が切れますように」などと、日の下にさらしてしまうという行為と、その心理が特殊な異様さを持っている。
(もちろん、こっそり行うという貴船神社の丑の刻参りも恐いですが……)

 それよりも、あの時、なぜミチルンと一緒にそんな場所に行ったのだろう。
 しかも、その前に訪ねた場所は「六波羅蜜寺」……。
 実に京都は深い(?)。

今年の予定

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 写真は、一足早く和歌山の桜。
 遙か以前に出かけた時の写真で、538段の石段の上に鎮座しているゴトビキ岩(神倉神社)、そしてそこから臨む新宮市街と、遠くは熊野灘。

 そういえば、ぼくの今年の予定が大きく変更になってしまった。
 年末年初の冊子に発表してしまった予定は、申し訳ないのですがちょっと忘れていただいて(?)もう一度この場で発表させていただきます。

 まず『毒草師Ⅲ』は、一旦延期。
 5月には、文庫『QED 神器封殺』。
 7月には、『カンナ 奥州の覇者』の書き下ろし。
 8月には、「メフィスト」に「千波くん」。
10月には、ラスト3作の内の1作になる『QED』の書き下ろし。
11月には、文庫『QED~ventus~御霊将門』。
12月には(余裕があれば)「メフィスト」に「千波くん」か「麿の酩酊事件簿」。
 そして来年の1月には、『カンナ』第5弾。
 ──という予定になりました。

 ちなみに『QED』も、テーマは「シャーロック・ホームズ」と発表してしまったが、こちらも急遽変更して、避けては通れない「出雲」で行きたいと思っている。
 しかし、この予定通りに行くと、今年は書き下ろし4冊、文庫2冊、そして「メフィスト」に短編を3本ということになってしまう。大変な10周年だ。
(今年デビュー10周年を迎えた○○さん。覚悟はよろしいだろうか)
 しかも来年は「講談社書き下ろし100冊」もあり、あと某女史と何か約束していた気もして(以下略)